羽根野の株日記

パチンコ昔話5

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前回の続きになります。専門用語が出てくると思うので、興味のある方のみお読みいただければと思います。当時はパチンコの収入だけで安定して勝てていましたし、この先もずっと働くことなく、パチンコだけで生活出来ると思っていました。この時は働くことは全く考えていませんでしたし、将来のこともあまり考えていませんでした。ただ、少しずつお店の環境も変わっていって、イベントの規制があったり、新台の入れ替えとともに僕の得意としていた釘読みの立ち廻りが通用しなくなってきました。使っていたお店の釘が渋くなったこともありますが、環境の変化についていけなかったことでパチンコではあまり勝てなくなってきました。そこで稼働の視野を広げることを考えてパチスロもすることにしました。パチスロは目押しが苦手だったのですが、家に実機を買って練習していたので、ビタ押しは出来ませんが、ボーナスは揃えることは出来ていました。立ち廻りもパチンコからパチスロのハイエナのみの稼働に変わりました。毎日データをとって宵越しで育った台を狙うやり方です。収支もかなり勝つことが出来ていましたが、ずっと1軒のお店で稼働していたので、ある日から僕と同じようなハイエナの専業の人もお店に来るようになって、その人と台の取り合いで、毎日かなりストレスが溜まっていました。僕はいつも一人で稼働していて、その人は数人で協力しながら台を押さえるので、立ち廻りもむずかしくなってきたので、この店でのハイエナはあきらめてもう一度パチンコで稼働することを考えて使えるお店を探すことにしました。甘デジでは釘も厳しく、いい台を見つけることが出来ませんでしたが、羽根モノで使えそうな台を店で見つけることが出来たので、この日から毎日このお店で羽根モノで稼働することにしました。ただ、東京で羽根モノで稼働していた時も同じでしたが、このお店も同じ専業の人との台の取り合いがきつくなってきたので、またお店を変えたり、新しいお店でハイエナをしたりして、何とか最低限の月の収支は稼いでいました。今回は以上になります。この続きはまたの機会に記事にしたいと思います。

 

 

 

お読みいただきありがとうございました
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